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人生楽しく生きる・・・0148 僧侶の外見 歴史と時代を認識して学び研究している大学教授の中にも、立派な論文を発表する先生もおられるが、私は下記の、この先生の論理には反対です。 新聞紙面から「僧侶は心ある外見が大事」の大学教授の表題からの私の意見です。 仏教に関わる問題となると、その信仰心と、教え、宗派の歴史にまで関連ししていて、単なる大学の教授だからと、私感で論じられても困ります。 よく見るタイやミャンマーのお坊さんは剃髪して黄土色の衣で托鉢に回りますが、その姿は現代の日本にはありませんが、日本に伝来した仏教は日本に適合されて完成され、その時代の変化に対応した姿に変わっています。 繁華街で空虚な見せかけのニセ坊主が、衣姿の托鉢に似た姿を見せますが、これはインチキ商売と思われ、「ああ、この人は間違いなく、出家したお坊さんだ、立派な人に違いない」と、だまされてお布施を差し上げる人も多少はいますから、ニセ坊主も立ち続けの苦労はあれども商売になります。 私が住職を務める宗派は、浄土真宗ですが、開祖の親鸞聖人は幼くして比叡山に登り、後に浄土宗の開祖法然上人に師事されて、僧侶といえども世俗に交わり、妻帯を許された世襲制度の宗派となりましたが、その習いは経学が主体で、体力に挑戦する修行の制度はありません。 僧侶の外見は、浄土真宗は、得度一回の剃髪で僧侶となりますが、以後は世俗の交わりの中に生きるために剃髪は強制されていませんが、それを批判した戦前までは厳格だった他宗派の僧侶も、戦後の宗教法人法の成立に依って、髪を伸ばして現代的な頭になったり、妻帯して生活をするようになりました。 厳格で、正式の手続きをしていないニセ坊主が横行するようになって、葬儀となると、葬儀屋さんと結託したお布施分け合いの葬儀とか、各地に乱立する霊園の世話されるニセ坊主の姿は、確かに外見は僧侶にみえますが、このニセ坊主の言いぐさが面白い。 いわく、「皆の宗です。」と、全宗派の経を如何にも有り難たそうに、歌ってカラオケの練習成果発表とは、お坊さんを確かめない人たちが悪い、宗教の堕落がはじまっているのです。 正しい僧侶は外見も、僧侶は仏から信心を頂く報恩謝徳の姿となって品位も自ずと現れ、心正しい装いは自然に現れて見られもしますし、態度も真摯な姿に現れています。 中身と、外見、両方が正しく整ってこそ、心ある立派なお坊さんなのです。 Guzou88の、ひとり言です。 |
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これ始めたら女釣れすぎwww |
祖千ン 2008/07/19 17:18 |
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